ピアノは持ち歩けない。〜ぶっつけ本番のステージで「自分の音」を奏でる技術〜

ピアノは、ヴァイオリンやフルートのように「自らの愛器」を会場へ携えて演奏することができない、極めて特殊な楽器です。ホロヴィッツやバレンボイムのように、専用の楽器と調律師を世界中に帯同させた特別な巨匠は例外と言えます。

コンクールや発表会において演奏者が直面するのは、リハーサルも叶わないまま、その日初めて出会う「初対面のピアノ」とぶっつけ本番で向き合わねばならないという、過酷な現実です。さらに、演奏を阻む壁は楽器そのものだけに留まりません。

  • 天井が低く吸音性の高いサロンホールで、響きがすべて吸収されてしまう感覚

  • 反対に音の反響が強すぎ、自分の出している音がどこから聴こえてくるのか把握できない焦燥感

  • 楽器ごとのタッチの個体差ー鍵盤の重さ、深さ、そしてスタインウェイ特有の繊細な鍵盤幅と打鍵のレスポンス

  • 眩しい舞台照明によって黒鍵が二重、三重、四重以上に見える光の角度が生み出す鍵盤上の深い影と明暗

ご自宅やレッスン室という環境では決して予見できない数々のアクシデントが、ステージの上には潜んでいます。 私自身もかつて、重度の花粉症で目が開けられないほどの強い照明下に晒されたり、本番直前にコンタクトレンズが破損し、片目の視覚のみでラフマニノフに挑むといった、数々の修羅場を経験してまいりました。

しかし、与えられた舞台環境はすべての演奏者にとって平等です。 いかに苛酷な状況であろうと、その場で目の前のピアノの特性を瞬時に解像度高く読み解き、その響きを味方につけて「自らの表現」へと昇華させなければなりません。

では、過酷なアウェイのステージで、揺らぐことなく「自分の音」を守り抜くためには何が必要なのでしょうか。

それは、文章や概念の理解だけでは決して到達できない、日頃の研鑽によって培われる「耳と身体の引き出し(感性と技術の順応性)」に他なりません

本番のアクシデントに動じない身体の軸や、脱力・打鍵のメカニズムに興味のある方は、当教室の【ボディワーク(身体の使い方)レッスン】もあわせてご覧ください。