たった1音の光で魂に届く音色。プロの名刺とは。
師が出演される演奏会に行ってきた。
振り返ること師との初回レッスン時、私が準備していったショパンの或る曲の或る和音をポロン…と何気にお弾きになった時の衝撃は一生忘れない。ひたすらに美しかったのだ。
師の音色は光とその陰影、そして温度が心の深部にまで伝わってくる。この方からもっともっと音楽を人生を学びたい!その気持ちが自分の中で燃え上がった瞬間を忘れはしない。
客席で師の演奏を聴きながら自動的に流れる滂沱の涙を受け止めるマスクはこんな風にも役に立つのだ。師が背中で示してくれるものを一生の宝としていきたい。
私は今までの人生に於いて何人かの素晴らしい師との出会いがあった。現在も師弟関係を継続させて頂いている師も、天国で見守ってくださっているであろう師もいる。
全ての師に共通していることは、ピアノの音が例えようもなく美しいということだった。たった1音であっても光の如く魂に届く音色。逆にそうでない場合は2カ月でその師の元を離れたこともあった。初回時に違和感を覚えたのは他ならぬ音色であった。多分この方とは上手く行かないだろう…と思ったら、一事が万事その通りだった。ただし、これは自分にとって、である。他の方には最高の師で有り得る可能性は幾らでもある。自分が何を感じるかを大事にしたいということである。
また、遥か彼方の大昔、小学3年生位だったと思う。その時の若い女性指導者の音が毎週苦痛だった。レッスンで積極的にお手本を弾いてくれる良い先生だったと思う。でも、私は濁ったペダルと機械的な打鍵の音がとても苦痛で、気持ちにシャッターを下ろしてしまった。
これからピアノの師(教室)を探そうという時、いつの頃からか体験レッスンというシステムが一般的になった。どこの教室を巡っても指導者の皆さんは研究と勉強を重ねて、受講者が「楽しい」と思える時間を一生懸命提供してくれるはずである。そう、ピアノは楽しいのだ。何を以て「楽しい」のかということについては多々思う所はあるが、それは別の機会にしたい。
さて、体験レッスンでは自分の師となる可能性の或る方の出す音色を是非聴いて欲しいと思う。そこには師としての人生全てが凝縮されていると言っても過言ではない。体験レッスンで何か1曲演奏して欲しいと頼むことは私は間違っているとは思わない。予めその希望を伝えておくことは大前提であるが。
そこで演奏される曲は、小さな、短い可愛い子ども向けと言われるような曲であるかもしれない。それは発表会の講師演奏でも同じだが、どんな曲であってもヴィルティオーゾ要素が有っても無くても、その曲に宿る美に上も下も優も劣もない。演奏から、音色から伝わるものを感じ取って欲しいと思う。それがピアノに携わるプロとしての名刺ではないだろうか。
