音を聴くということ

音を聴くということ

2017年9月15日

朝霞市・新座市Sumiピアノ教室です。こんにちは。

常に耳でコントロールしながら演奏していますか。音符の並びを再現するだけで精一杯、細部のニュアンスに全く配慮が行き届かない演奏をしているのであれば、それは自分の音を全く聴いていない証拠です。譜読み段階から、とにかく聴くことです。ふさわしいテンポも見えてくるでしょう。

私は子ども時代、複数の先生にご指導いただきましたが、一番苦手だった先生は(うわ~、当時の先生ゴメンナサイ)私の演奏中に“タ~ラリラ~ララ~ァラ~”と歌う先生でした。自分の音に集中できないのと、刹那消えていく音の生命を先生がコントロールしようとしていることが本当に苦痛だったのです。私の音楽は私のものなのに!と。

聴くことが大切なのは教師も同じです。もし、自分の歌声で生徒の演奏をねじ伏せることが目的ではなく、歌心の大切さを伝えたいのであれば、生徒自身からそれを引き出さなければ意味がありません(またまた当時の先生ゴメンナサイ)。或いは、もう一台のピアノを共に演奏することで音楽の伊吹を伝えることが出来るのではないでしょうか。

大学時代の師は生徒が持ってきた曲は、どんな曲でも暗譜で一緒に弾いてくださいました。ふと気付くと、先生のピアノがユニゾンになって一つの音楽になっていた。ご自分の枠に力づくで生徒を誘導するのではなく、まるで寄り添うように並走するように。平均律もイギリス組曲もショパンのソナタもエチュードもプロコフィエフのソナタもラフマニノフもドビュッシーもバルトークも…これは超人的なことなのです。師を越えることなど一生出来ません。

思い返すに、何と幸せな時間を過ごしたことでしょう。もうあの時間は二度と帰って来ません。

舞台で演奏するとき、もうお会いすることが叶わない師を客席に“招待”しています。先生は必ず聴いていてくださっていると信じています。先生、私は少しは成長したでしょうか。先生からお習いしたエッセンスを次世代に伝えて行くことが今の私の仕事です。