自らの感覚を信じる

自らの感覚を信じる

2016年12月7日

朝霞市・新座市Sumiピアノ教室です。こんにちは。

前回の続き、感覚の互換性についてです。最近、昔買った森村泰昌著『踏みはずす美術史』を読み返しているのですが、カンディンスキーの言ったとされる言葉が引用されています。

私は音楽を見る。そして絵を聴くのだ。

なるほど。カンディンスキー作品の実物を現代美術館で見たことがありますが、作者の意図そのものの作品に心が躍動する思いでした。
では、音楽を見るとはどういうことなのでしょう。森村氏の著書の続きには、感覚の互換性には「見る」と「聴く」以外に「食べる=味わう」「着る」と解釈の枠を拡大していけるのではないかとあります。

音楽を食べる、味わう。個々の中に起こる感覚とその変化は、演奏者、観賞者、それぞれの内的世界において、その翼を自由自在に広げていくことに誰の許可をも必要としません。芸術は、音楽は何と自由であることでしょうか。

じゃあレッスンでアレコレとプロセスを踏んでいくのは何でかと言えば、作曲者(多くはもうこの世にいない)の意図が込められた楽譜を読み解くためのベースが存在しているからです。そこから先は、奏者の解釈という自由が待っているのだ。その自由を手にするには年月が必要ではありますが、大空高く舞い、風に乗ってどこにでも行くことが出来る世界にLet’s go.