よしなしごとをそこはかとなく…

よしなしごとをそこはかとなく…

2017年6月14日

朝霞市・新座市Sumiピアノ教室です。こんにちは。

最近の携帯(スマホ)は管を繋いでハンズフリーで話が出来ますね。横断歩道を渡りながら、オフィス街を歩きながら、買い物をしながらハンズフリー通話。うむ、、何か違和感

先日、いつも利用するレストランで食事をしていた時も、少し離れた所の50代管理職風の女性が座席で携帯で話し始めたので、軽く驚愕。英語で商談の様子。直ぐ切るのかなぁと思いつつ、結構長い。周囲は普通に食事をしている風景の中に、またもや違和感

そして今度は、先の女性の隣席に居たDJガールみたいな女の子が20分位かな、喋っているわけです。ヘッドホンで相手の声を聞いているようで、かなりボリュームのある声。彼女の近くのお客さんが店員さんを通じてクレームを入れていましたが、それでも話は止まらない。違和感Max

しかしながら、このワタクシの感覚は、昭和っ子人間ならではのものなのでしょうか??携帯電話が日進月歩で進化していくなら、それを使う人々のパブリック空間での“当たり前”も時代とともに変化していくのかなぁ?と。

レストランや電車内での大きな声でのお喋りが良くて、携帯がバツなのは納得いかぬという意見も若い衆にはあるようです。

そこで、ちょっと考察してみました。携帯というのは空間に於いて自分だけが見えない相手とコミュニケーションしているわけですね。つまりは独り言を言っているのと同じなんじゃないでしょうかね?そうなると、周囲から見れば完全なる自己完結なわけです。だから違和感が漂うのでは。ましてや、お金を払って利用してる空間となれば。

で、いつでもどこでも自己完結の携帯通話OKという解釈になるならば、レストランはもとより、離陸間際の飛行機の中、新幹線の中、どんな場所でも、詩吟を吟じるのも、気持ち良く歌うのも、芝居のセリフを練習するのも、クラリネット吹くのも問題ないよね?って拡大解釈できてしまう。OH MY GOODNESS

10年、20年後は一体どうなっているのでしょうか。今は時代の過渡期のように感じています。以下妄想→レストランで携帯通話→料理長が厨房から出てきてハリセンで頭を叩く

ご清聴ありがとうございます。