芸術の深淵へ】『ショパン―200年の肖像展』で出逢った、作曲家の孤独な魂と楽譜の生命
雨の週末、皆様はいかがお過ごしでしょうか。先日、練馬区立美術館で開催されていた『ショパン―200年の肖像展』へ足を運びました。
演奏会や講演会なども交えた多角的な大型企画展でしたが、当時はコロナ禍の真っ只中。密状態を避けるための人数制限や滞在時間の短縮など、緊迫した空気の中での縮小開催となりました。しかしそのような厳しい状況下だからこそ、来場者の安全を守るために命懸けで職務を全うされていた美術館スタッフの皆様、裏方の皆様のご苦労が痛いほどに伝わり、胸が熱くなりました。鑑賞後、思わず感謝の御礼メールを送らせていただいたほど、深く心に残る展示となりました。
会場には、ショパンの音楽にインスパイアされた作家たちの現代アート、日本のピアノ界との歩み、ポーランドの美しい風景、ジョルジュ・サンドとの出会いと別れ、そして直筆の貴重な楽譜やショパンコンクールの歴代ポスターなど、大変見応えのある貴重な資料が並んでいました。場外には一色まこと先生の『ピアノの森』の美麗な原画も展示されており、まさにショパン一色に染まる空間です。
なかでも、ショパンの音楽を視覚化した作品群は大変興味深く、イマジネーションという翼の自由さを改めて実感いたしました。アンディ・ウォーホル調のポップなショパンには思わず笑みがこぼれ、「グランドピアノのカバーやテーブルクロスに加工したら、お部屋が素敵に変身するのでは」などと楽しい想像が膨らみます。その一方で、『ピアノ協奏曲第1番』と題された、白いカンバスに青い絵の具の筆が激しく走る作品の前では、ショパンの胸を締め付けるような苦しさと痛みがダイレクトに伝わり、不意に涙がポロポロと溢れて止まらなくなりました。美術展の醍醐味は、他者が素通りするかもしれない1枚の作品の前で、電光石火の如く魂のスイッチがONになる瞬間にあります。
当時放送されていた朝ドラ『エール』では、天才作曲家・古関裕而氏が音を出さずに原稿用紙に向かうように五線譜へ音符を書き走らせるシーンが印象的でしたが、即興演奏の天才であったショパンの作曲方法はそれとは対照的でした。彼はピアノの前で心の赴くままに即興で音楽を紡ぎ出し、それを後から楽譜に書き遺したと言われています。即興演奏はいつでも同じとは限らない「生き物」です。ショパン作品が、エディション(版)によって様々な解釈が生まれるのはこのためでしょう。実際、彼は献呈用、出版社用、弟子への書き込み用など、同じ曲でも何種類もの異なる楽譜を遺しています。
実はこの東京展の際、混雑と時間制限のため、ショパンが晩年の病床で「今でいうナースコール」の代わりに使っていたという【呼鈴】をどうしても見損ねてしまうという心残りがありました。どうしても諦めきれなかった私は、なんと次の巡回地である静岡までその呼鈴に会いに行ったのです。
静岡の会場でようやく出逢えた小さな東洋風の呼鈴。ショパンの作風からはちょっと想像できないような。しかし、その前に立った瞬間、まるで周囲の音が消え、そこだけ時が止まってしまったかのような感覚に囚われました。気がついた時には、1時間かそれ以上か、その場に佇んでいたのです。
結核に冒され、声を出すこともままならなかったショパンが、一体どのような思いでこの鈴を力ない指先で握り、ベッドの中で響かせていたのか。死を目前にした彼の孤独な魂の震え、そして命の焔が静かに消えかかっているその厳粛な瞬間の情景が、何百年もの時を超えて目の前に浮かび上がるようでした。それは決して『感動』といった安易な言葉では表現できない、胸が締め付けられるような静かな祈りにも似た、深く重い時間でございました。
現在も日本で深く深く愛され続けるショパン。あの緊迫したコロナ禍の中で、多くの方々が彼の魂に逢いに来ていた理由が、今ならよく分かります。長い歴史の一瞬を音楽と共に生きる喜びを噛み締めながら、またいつか、彼の音楽の旅路に出逢える日を心より楽しみにしております。
- MET博物館に展示されているような貴重なスタインウエイ
- 見切れて『ンョパン』
左:NYのMET博物館に展示してあっても不思議ではないような貴重なスタインウエイ。
右:大きな熊さんがお出迎え。見切れて『ンョパン』。


