音楽だからこそ表現できること

2019年7月8日

朝霞市・新座市Sumiピアノ教室です。こんにちは。

今の小中学校での音楽の授業に教材鑑賞はあるのでしょうか。全員同じ音楽をCDで聴いて感想文を書くという内容です。

音楽をコトバに変換してしまう、変換し過ぎてしまうということに注意を向けたいと思います。
ロマン派の作品は文学、絵画、音楽が融合した時代様式に則って、標題音楽という題名がつけられた楽曲が生み出されました。しかし、ショパンは徹底的に標題を避けました。革命、雨だれ、子犬のワルツ、別れの曲…これは本人が付けたタイトルではありません。ショパンは題名が付く事で音楽のイメージが固定化されることをよしとしなかったのです。

例えば、ピアノの入門テキストに“おいしいジュース(仮)”という曲があったとします。幼少の生徒に“何のジュース?どんな味?どんな色?どんなコップに入っているの?”等々細かく聞くのは、私はナンセンスに思うのです。そんな質問をされたら言語で答えるしかないし、語彙の少ない年齢の子どもならば困惑する他に術がないでしょう。私だったら「つまらないなぁ~」と欠伸をするかも。鑑賞教材の感想文もそうですが、言語化することが優先されて、音楽というのは取り敢えずコトバに変換すれば良いんだという誤解を招きかねません。

奏者が楽曲にどんなイメージを持つかは自由です。それこそ音で自由に遊んで欲しいと思います。或いは楽譜を再現するだけで精いっぱいなら、イメージ云々は横に置いて仕上げを積み重ねていく。そして余裕が出来た時、美味しいジュースを飲んだ時の幸せな気持ち、喉の渇きが潤された瞬間に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。